「ヒヤマケンタロウの妊娠」坂井恵理

ヒヤマケンタロウの妊娠イメージ

「ヒヤマケンタロウの妊娠」
坂井恵理/講談社

男の妊娠・出産が確認されてから、早10年。自然妊娠の確率は女性の10分の1。ただし、産道のない男性の出産はすべてが帝王切開になり、中絶手術も開腹手術を要し、女性のそれと比べてリスクは高めである。他方「男の妊娠・出産」に対する偏見はまだまだ強く、よって高リスクにもかかわらず妊娠男性の中絶率は高い……。こんな設定で物語は始まります。

オーストラリアでは人口子宮の開発・妊娠(男性が)に成功し、イギリスで女性の子宮外妊娠と同じ原理で男性の妊娠・出産(開腹手術で)の実例がある今、あながちこの設定を荒唐無稽だと言えないのがすごいのです。

レストランチェーンの企画部長で高収入の32歳、そこそこイケメンかつそつのないコミュニケーション能力、彼女に不自由せず、子どもどころか結婚すら一生する気はさらさらない。そんなエリートサラリーマンの桧山健太郎が妊娠した!
これまで順風満帆快適上等(?)だった健太郎は、「男の妊娠・出産」に対する偏見にさらされるが、会社での地位、「妊夫」とう立場、すべて利用して自分の居場所を作るために立ち上がる決心をする。
そんな健太郎と、彼とすれ違う人々やガールフレンドの物語です。
二股男の子供を妊娠した会社員(本作品中、唯一の女子の妊娠)、男子が妊娠してしまった高校生カップル、夫の妊娠に戸惑う中年夫婦、不妊のつらさを乗り越えた夫婦、そして気楽な独身生活を謳歌しているフリーライターで健太郎と束縛なしの軽い付き合いをしている瀬戸亜季。彼女こそが健太郎の子どもの母親なのです。

筆者個人が一番印象に残ったシーン。
— 健太郎が亜季に妊娠を告げたとき、彼女は思わず「ホントにあたしの子なの?」と聞いてしまう —
いや、これって妊娠した彼女に対する彼氏の発言としては最っ低のパターンですよね(笑)。
(1)彼女が涙する、(2)彼氏の頬をひっぱたく、(3)唖然とする彼女。(4)絶句する彼女……あたりが予測される次のシーンでしょうか。
実際、亜季は『無責任なダメ男みたいな発言しちゃった』と速攻、プチ反省します。

こんな風に「男の妊娠・出産」を軸に、男の気持ちに女が、女の気持ちに男が、妊婦や子育て中の親の立場に独身者が、少しずつ寄り添えるようになるエピソードが、ちりばめられています。

人の美醜やジェンダーといった社会的な問題をさらりとコミカルに描く構成力には定評のある坂井恵理氏。
決して華やかとは言えない画風ながら登場人物のふとした表情の魅力、グダグダ説明せず、「男の妊娠・出産」という難しいはずの設定をあっさりとしてのける巧みさ、展開の速さ・スピード感で盛り沢山なはずの内容を単行本一冊にまとめきられた手腕はさすがです。
本作は「妊娠・出産」を男が経験する設定ですが、ブスと美人の「とりかえばや」で、ブスが美人を・美人がブスを経験する設定で、人が自分の容姿とどう向き合っていくかを突きつける『鏡の前で会いましょう』※もお勧めです。

実は、連載中から本作に魅かれ、勝手に映画化できないかと妄想しておりまして、何人かの女子に本作の内容を話したら異口同音に「観てみたい!」と絶賛でした。現在も諦めず機会を狙っています……。

※『鏡の前で会いましょう(1)〜(3)』 講談社 BE LOVE KC
美女とブスの体の入替りを通じて描いたアラサ—女子のパンチある物語

推薦者
小林美也子

Kobayashi miyako

大学教授&映画プロデューサー

漫画と映画で人生を学び,現在は大学で法学を教えつつ映画制作にも関わる。