「窮鼠はチーズの夢を見る」他/水城せとな

窮鼠はチーズの夢を見るサムネイル 「窮鼠はチーズの夢を見る」
水城せとな/小学館 フラワーコミックスα
俎上の鯉は二度跳ねるサムネイル 「俎上の鯉は二度跳ねる」
水城せとな/小学館 フラワーコミックスα

水城せとな氏初のレディコミかつBLもの(水城氏いわく,担当からの「ゲイでSM」とのリクエストに応えて描き始められたらしい)。

但し、ちまたで議論されている(らしい)ように、果たしてこの作品をBLのカテゴリーに入れて良いのかどうか甚だ疑問が残る。

いや,確かにストーリーは徹頭徹尾,大伴恭一(オトコ)と今ヶ瀬(オトコ)の愛憎劇であるし,他のBLに比べやや控えめ(と筆者は思う)ではあるが

彼らのベッドシーンも克明に描かれてはいます。だけど,BLと言い切れないのは何故か。

ドラマにはいわゆる「枷」が必要とされる。

ラブストーリーに限定すれば,身分の差(貧富の差),ロミオとジュリエットよろしく家同士の確執,親の反対,年の差,社会的立場(上司と部下,教師と生徒,不倫などなど),年齢(若すぎる,年寄りすぎる)……。

登場人物が如何にしてこの「枷」を乗り越えて行くか?がドラマになる。

そして,水城氏の本作は,この「枷」にたまたま「ゲイのオトコがノンケのオトコに恋をした」が使われただけで,描かれているのは,とことん一途な恋に苦しむ大人のラブストーリー,ただそれだけなのだ。

そこが,本作をBLとよび辛い所以ではなかろうか。

実際,今ヶ瀬(ゲイ)を女子に,大伴(ノンケのオトコ)を女子に,更には二人とも女子に(これだとレズビアンになるが)に設定を変えても,成り立ちそうな物語だからだ。

仕事もできて端正な姿形の大伴恭一は,流されやすい性格が災いして結婚後も女性の出入りの耐えないノンケの30オトコ。

そんな彼を高校時代から恋いこがれていた後輩の今ヶ瀬は真性ゲイ。

恭一の妻からの依頼で浮気調査をした今ヶ瀬が,浮気の事実を隠すのと引き換えに男同士の関係を迫るところから2人の恋愛ドラマが始まる。

今ヶ瀬の粘着質で嫉妬深い性格に気圧されながらもその一途さに肌を合わせ,情が移るもののゲイにはなれないと悩む恭一。

そんな恭一の正直な態度に,わきまえようとするものの,押さえられない愛に苦しむ今ヶ瀬。

水城ファンならご承知の通り,膨大なセリフ,モノローグによって二人の心の揺れとせめぎ合いがきめ細かに,丁寧に丁寧に描かれて行きます。
圧倒的に2人のシーン,しかもほとんどが恭一の部屋が舞台。しかし(てか,当然ながら)グイグイ引き込まれて行きます。
『俎上の鯉は二度跳ねる』は『窮鼠はチーズの夢を見る』の続編というかその後を描いているので,『窮鼠はチーズの夢を見る』→『俎上の鯉は二度跳ねるあ』の順で読まれることをお勧めします。

出逢うべき人に出逢い,恋に堕ち,痛くて切なくて辛くて苦しくて,自分の弱さを思い知る。そんな古典ロマン的な恋愛物語を鮮やかに描いてくださった水城氏の才能に出逢えたことに感謝です。

最後に,『俎上の恋は二度跳ねる』からの一説を。

恋っていうのは
幸せになるために
するものなんだと思ってたよ……とんだ子供じみた夢想だったな

こんな 体の芯から 押しつぶされそうな痛みを 抱えることが?
足下から根こそぎ全部 持ってかれるような
ほかの荷物は なにも持てなく なるような 苦しさか?

冗談じゃない

こんなものが 恋愛なら もう二度と したくない

これが恋愛なら

恋愛は 業だ

推薦者
小林美也子

Kobayashi miyako

教育&映画プロデューサー

漫画と映画で人生を学び,現在は大学で法学を教えつつ映画制作にも関わる。