「チョコレイト ジャンキー」(1) |
子どもの頃,太郎君が花子ちゃんをやたらとかまう,意地悪する。
すると「太郎君は花子ちゃんが好きだから気を引きたくて意地悪するのよ」なんて大人は言いました。
そんなこと言われても,意地悪される花子ちゃんはたまったものではないし,納得できません。
太郎の方も「なんで花子ちゃんに意地悪するのっ?!」と大人に叱られてもうまく理由なんて言えるはずもなく,ぷいとむくれるか,黙って走り去る……子供の頃(子供の頃と言っても幅はありますが)こんな経験をした,あるいは垣間見たことないです?
「もう,太郎ったら私が可愛いから意地悪するのね。こまったちゃん?」などと花子が返そうものなら,それは相当成熟した女の子でして,それこそ漫画みたいな話でネタになります。
こういう行動を心理学的に「反動形成」と呼ぶそうです。
「反動形成」とは,気持ちをそのまま出せない時に無意識に気持ちと正反対の行動をとることで,「男の子が好きな女の子に意地悪してしまう」のが正にその例です。
心理的には未熟で「花子ちゃんが好き」という気持ちをどう扱っていいか分からない太郎君は花子ちゃんに対する思いをどう処理したらいいかわからない。
そんな時に深層心理では「反動形成」が起きます。深層心理なので本人は無自覚です(「好き」と言う気持ちにも無自覚です)。
無意識に「花子ちゃんを好き」という処理しきれない気持ちを打ち消そうとする一方で,好きな花子ちゃんに自分の存在をアピりたい。
そんな心理がないまぜになって意地悪するとういう行動に出てしまうようです。
この例では,心理的な未熟さが「反動形成」の大きな要因となっているわけです。いい年になれば男性もむやみに好きな女性に意地悪するばかりでなく,「好き」と言う気持ちに気付き,まっとうな形で自分の気持ちを女性に伝えることができるようになるはずです。
(成人してからも「反動形成」は様々な局面で現れるのですが,その話題にはここでは触れません)
青森の片田舎の小学校に通うブスで根暗な千代子は男子たちから「ブス!ブス!」といじめにあっていた。
そこへ東京から転校してきた喜多川葵くんは,キリッとしているのに甘いマスク,まるで王子様みたいな少年。喜多川は,千代子をいじめる男子たちに,「いじめるんじゃない」と立ち向かってくれた。とってもかっこいい正義の味方の喜多川葵くん!と思いきや,
「そいつをいじめていいのは,このオレ様だけだ!!」。
その日から喜多川の千代子に対する独占的ないじめの日々が始まる。
おかげで誰もいじめることはなくなったものの,喜多川は千代子を強烈にいじめ,中学,高校,そして高校卒業後すぐに東京で就職して喜多川から逃げた千代子を,高校教師になった喜多川は探し出し,執着し,執拗に追いかけ,苛めたおす。
『チョコレートジャンキー』はそんな喜多川と千代子のラブストーリーです。
千代子は容姿の悪さに絶望し,悲観的で不幸体質。真面目に働くが,思ったことをうまく言えず職場でも浮いた存在。東京での友達と言えるのは売れない女芸人の2人だけ。
他方,イケメンで度胸もあり(ケンカの強さからすると多分そう),生徒思いで同僚との関係もそつなくこなすスマートさを兼ね備えた非の打ちどころのない高校教師の喜多川。当然のことながら生徒にも人気があり,千代子の周りの人間からもすこぶる好印象。
そんな喜多川の闇を知るのは千代子だけだが,千代子は喜多川を嫌いになれないどころか小学校時代から淡い恋心を抱いている。
とまぁ,めちゃくちゃハードルの高い設定の中で物語は進みます。
ところが,そこは筒井旭氏。明るく,軽く,さりげなく,でもがっつりと読み手の心をつかんでくれます。
喜多川は単なるS男でなく,「好きな女の子をいじめる男の子」の部分を持ったまま青年になってしまったのが,何気ないしぐさや会話,表情で伝わってきます。
先述の「反動形成」よろしく,喜多川本人は千代子を好きなことに全く無自覚です。
千代子も,千代子の友人たち(売れない女芸人コンビ,マッチョゲイの居酒屋店長),喜多川の幼馴染の奈弦,さらには教え子の友利,そして読者……全員が喜多川の千代子への恋心に気付いているのに,当の本人の喜多川だけがそれに全く気付いていない。
全くです。
それこそ不自然なほどに。
その不自然さ故に,なぜ喜多川がこれほどまでに未熟な部分を抱いたままなのかの謎も読み手の心にじわじわと膨らんできます。
コアになるテーマは重いものの,そこは筒井氏の抜群のセンスでギャグが散りばめられてあり,しっかり笑わせてもくれます。
群像劇よろしくメインキャラ2人(千代子と喜多川)以外のキャラクターが非常に丁寧にしかもさりげなく描かれています。
実際,どの人物もそれを主人公に別の物語ができるほど魅力的に描かれています。
特にみんなが溜まり場にしている居酒屋のマッチョゲイ店長には思い入れが強い(?)のか,本作の次に連載された作品『にもかかわらず』※ではマスターの高校時代のエピソードまで描かれています。
本作のファンの中には,物語が早々に(コミックスで3巻完結)終わったのを残念がる意見が散見されますが,本作の次に連載された『にもかかわらず』※でその後の2人を垣間見ることができるので,本作に続いて読まれると楽しさ倍増です!
※『にもかかわらず』(マーガレットコミックス) (マーガレットコミックスDIGITAL)
著者:筒井旭
出版社: 集英社
少年のような暴れん坊キヨ20歳。彼女には、かつて3年間だけ義理の「兄」がいた。兄と再会し,キヨは彼を兄としてではなく男性として意識し始めるが、妹としか見られない事に苛立ちを覚える。不器用でピュアな2人をめぐる愛と友情を家族愛の物語。『チョコレートジャンキー』のスピンオフともいえる千代子と喜多川,居酒屋店長の小ネタも贅沢な+α。
推薦者 Kobayashi miyako |
教育&映画プロデューサー 漫画と映画で人生を学び,現在は自治体,予備校等で法学を教えつつ映画制作にも関わる。 |