「WHITE NOTE PAD」 ヤマシタトモコ

〜女子高生と中年男。平安時代以来の古典,でも気絶するほど新しくも深淵かつ哲学的な人格入替物語。〜

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「WHITE NOTE PAD」(1)
ヤマシタトモコ

登場人物が入替るお話には,人格と肉体はそのままで人物の社会的立場が入れ替るもの,肉体に宿る人格と人格とが入れ替るもの,の2種類があります。
前者の「人物入替り」の代表例が,古くは『とりかへばや物語』(作者不詳:平安時代後期),『王子と乞食(The Prince and The Pauper)』(マーク・トウェイン作:1881年発表),後者の「人格入替り」の例が『転校生』(大林宣彦監督:1982年公開。山中恒の児童文学『おれがあいつであいつがおれで』の最初の映画化作品),『君の名は。』(新海誠監督:2016年公開の大ヒット映画)などなど。

後者の「人格入替り」のパターンでは,一般に,
①何か劇的な出来事がきっかけで人格が入れ替った人物同士は顔見知り
②入替ってしまった2人は元の肉体に戻ろうと互いに協力しつつ努力する
③男女入替りの場合(美人とブスの女子同志が入替るパターンもあるが)は彼らの恋愛がドラマの軸になるというのが定番で,これらの要素がドラマを盛り上げてくれます。
本作『WHITE NOTE PAD』は,「人格入替り」のパターンですが,これらの要素をとことん裏切ってくれます。

 17歳の女子高生・小田薪葉菜(おだまき はな) 猫背 無趣味 スクールカースト中の中 
 38歳の自動車工・木根正吾(きね しょうご) 中肉中背 貧困層 独身

何の接点も無い2人が,ある日突然入替たまま,1年経ったところから物語は始まります。
入替った瞬間も,その直後の動揺ぶりも一切描いていないところが,先ずセオリー破りです。

 17歳の少女の肉体を得た38歳の知恵のあるおっさん。
 38歳のしょぼくれた肉体に閉じ込められた17歳の少女。

どちらに幸せな人生を予感しますか?

葉菜になった正吾は、17歳の女の子の体を「最強」と驚喜し,容姿を磨き,読者モデルとして活躍する日々。
38歳の知恵を活かし,「あたらしいわたし 絶対同じ失敗はしない」と,のし上がっていこうとしています。
他方,正吾となった葉菜は、自動車工ができるはずもなく、記憶喪失と偽って退職し、食うや食わずの日々ながら,同僚の友情に支えられ,淡々とした日々を過ごしています。

そんな2人が偶然,元の自分の肉体と出逢います。
「奪われた」と憤る葉菜。「奪った」と奢る正吾。
しかし,入替ったきっかけに心当たりもなく,1年という時間を入れ替わった体で過ごしてきた2人は,もはや「是が非でも元の姿に戻ろう」ともがくことをしません。
ここもセオリー破りです。
正吾の画策で,葉菜は正吾が読者モデルを務める出版社で雑用の仕事を得ます。

入替ってから2年。
正吾(葉菜の姿)は,強気で野心満々のはずが,孤独感を強めていき,デザイナーの卵に身体を委ねてしまいます。
他方,感動を素直に表し,一生懸命仕事を覚えようとする葉菜(正吾の姿)は努力家の素直な男として周囲に愛され始めていきます。
若い女の体を手に入れた正吾は,若い女ならではの生理に苦慮し始め,健康な男の体に閉じ込められた葉菜はその現実を徐々に受け入れ始めます。
17歳の男性を知らない少女が,勃起やマスターベーション,立ったままの排尿に慣れていこうとする姿がユーモラスに描かれているのが,本作にすこぶるリアリティーを与えています(笑)。

筆者の周りには「若返りたい。
ただし,これまでの人生経験を持ったまま若返れば。
そうすれば今度はもっとうまくやれると思う」こんなことをいう友人知人が少なからずいます。 

若い女の肉体を持て余し気味になり,以前よりも孤独感にますます苛まれる正吾,徐々に男の肉体を受容しつつある葉菜。
そして,2人の運命を揺さぶる出来事が正吾(葉菜の肉体)に起きます。

ヤマシタ氏の作品の登場人物に共通するのは,何かしら屈折したものを持っていて人間関係も少しこじらせ気味,でも他人を思いやる繊細さを持ち,それが故に傷つきやすく,なのでこじれる……。という感じがします。
ま,そんな感じの,「絶えず揺らいでいる心」とそれが故の,「矛盾に満ち満ちた態度」そんな微妙でリアルな人間模様を,スタイリッシュな線と登場人物のふとしたしぐさや端的な台詞で,作品の表情はあくまでも,あくまでも,穏やかなのにもかかわらず,スパーンッ!と伝えてくださいます。

確かに,本作のような人格の入替りなんてことは起きないかも知れない。でも,人生何が起きるかわからない。どんなことがあっても,幸せになれるかどうかは自分次第。そんなことを少し考えるきっかけになる物語です。

推薦者
小林美也子

Kobayashi miyako

教育&映画プロデューサー

漫画と映画で人生を学び,現在は各地で法律を教えつつ映画制作にも関わる。