「カブキなさい」(1)~(4) |
ガールミーツボーイなお話です。
ファッションの世界に夢を抱く不器用な女子。
歴史と伝統ある芸術世界で重圧に苦しむ男子。
世界的なデザイナーを夢見てN.Y.で貧乏生活をしながら勉強する元気いっぱいの片田舎出身の女子が,高級車に乗るイケメンと最低最悪の出逢いをする。
なんと彼は今をときめくクラシック界の貴公子。
クラシックなんか聴くと数秒で寝落ちする彼女が彼の演奏に衝撃を受け,徐々に魅かれて行く。
プレッシャーに苦しんでいた彼の方も彼女の生き様に心が解きほぐされて行き……
マンハッタンの街並,豪奢なメットでの演奏風景,セレブの集まるパーティー etc.
と,アメリカ映画やドラマならこんな感じでしょうか。
これが日本を舞台に,日本人登場で演ると,どこか貧乏臭くなるのが通例。
の,はずなのですが……
アメリカンポップ調の絵柄と色彩感覚,登場人物のファッションセンス,吉田まゆみ先生がイキイキした線で,しかも「歴史と伝統ある芸術世界」を「歌舞伎の世界」に設定して,あざやかに描いて下さいました。
高崎市のだるま職人の一人娘・千夜(ちよ)は親の反対を押し切り上京,将来は世界的なデザイナーになるという野望を叶えるべく,貧乏生活を続ける専門学校生。
悲しいかな絶望的に不器用なのだが,そこは持ち前の明るさとセンスで超前向きに日々を過ごしている。
そんなある日,酒に酔いつぶれた眉毛のない男(!?)に絡まれ,思わず彼の顔を殴って逃げる。
翌朝,テレビニュースでその男が梨園の御曹司で,今をときめく超人気歌舞伎役者の扇之介であることを知る千夜。
扇之介は歌舞伎役者の跡取りとしての重圧に,苦しんでいたのだった。
そうなんです。めちゃくちゃ見事な設定なんです。
日本独自の伝統芸のである歌舞伎の世界に生きる扇之介を“ボーイ”にしたからこそ,ボーイの葛藤や,ガールとボーイの恋愛の枷も上手い具合に生きています!
しかも,ルームメイトのあつ子のボーイフレンド・純平が歌舞伎役者の卵で扇之介の友人だというではないか。
それが縁で,千夜も扇之介の舞台を観にいくことになる。一瞬で寝落ちした千夜だったが,扇之介の登場シーンで,彼の目の虜になってしまう。
はい。ここでの出し物は『助六由縁江戸桜(すけろくゆかりのえどざくら)』でございます。
歌舞伎ファンの御仁でしたら,「できすぎよ〜」と突っ込まれるかもしれませんが,そこはヤッパリね。
そして,「もう一度あの目に会いたい」と千夜は翌日同じ舞台をまた観に出かけます。
この扇之介の舞台の描写が,見事なのです。
吉田まゆみ先生の画力の真骨頂と申し上げたい!
そう,歌舞伎役者といえば,目力。
ひとにらみで,ば〜〜〜〜っと,その場にいる何百人も殺されます(笑)。
扇之介のかっと見開いた両目が千夜にグググっと迫ってきてきた刹那,その鋭い眼光に千夜はがっつりと捕まえられ,瞬く間に吸い込まれていってしまった云々……
てな風に,文字で書くのも,歌舞伎の舞台で直に感じ取るのは容易いこと。
これを,吉田まゆみ先生は見事に描ききっています。
もうもう,この“扇之介の目”で千夜が恋に堕ちる瞬間のシーンを見るだけでも,本作を読む価値ありです。
扇之介が登場すると,場内に飛び交う「三善屋っ!」(扇之介の屋号)の大向こう。
扇之介の目力に引き込まれた千夜は,思わず「扇之介っ!」と声を掛けてしまう。
場内はざわつき,千夜は係の者に注意される。
はい。歌舞伎ファンの方ならびっくり仰天のシーンですね。
千夜は扇之介のすばらしさに,思わず「扇之介」と声をかけたくなってしまっただけなのです。
ロックコンサート会場の熱狂的なファンみたいですね。
しかし,屋号とかタイミングとか,歌舞伎を知った方々からすると大・大ひんしゅくのマナーのようです。
オペラコンサートで出演者の名前を叫ぶのと同じような感じと言えば良いでしょうか。
ですが,この千夜の「扇之介っ!」の掛け声が,色んな人の心を動かしていたのです。
ということが物語の中で少しずつ分かってきますし,泣けるシーンにもつながります。
そんな既成概念にとらわれず,まっすぐに気持ちをぶつけて来る千夜に扇之介はだんだん魅かれて行きます。
この後,物語は,扇之介の女性マネージャー,日本舞踊家元の娘で婚約者の匡子,初恋の相手再来,扇之介を溺愛する母,とさすが梨園の御曹司でイケメンだけあって様々な女性に好かれる(笑)。
特に,幼い頃から扇之介を慕ってきた匡子は千夜の存在を疎ましく思い,扇之介に友情以上の気持ちを抱く純平を利用したり,扇之介の腹違いの兄に接近したり,黒い罠を仕掛けようとする。
ちなみに,連載中の吉田先生へのインタビュー記事で,モデルは市川新之助(その後,海老蔵を襲名)さんとのことです(やっぱり)。
なのですが,当時,彼に隠し子がいることが発覚して(ググればすぐに出てきます),「マンガより面白いことされちゃ困るじゃないか」と思われたそうです(笑)。
匡子や扇之介の母の思惑をよそに,千夜と扇之介はどんどん魅かれ合って行く……と物語の成り行きにわくわくしていた矢先,なんと,当時本作を連載中の雑誌『Vanilla』が休刊の憂き目に……!
で,2ヶ月後,『Be love』で連載再開。
しかも,いきなり3年後,扇之介と千夜が結婚するところからです。
え?梨園の妻に収まったらデザイナーどころじゃなくなるじゃない?千夜はあんなにデザイナーへの夢に燃えていたはずなのに,そんなに簡単に諦めたのか?
と突っ込みたくもなるかもしれませんが,筆者は逆にそこは描かずにショートカットしたおかげで物語全体としてはすっきりシンプルな構成になってよかったのではないかと思っています。
そのあたりの葛藤はきっときっと,めちゃくちゃあったに決まっていて,それを乗り越えたからこその2人の固い絆を読者は想像できるはずですから。
千夜は扇之介の母からは嫌われ,挙げ句の果てに「子どもを産むな」とまで言われる。
往々にして姑と嫁は確執のあるものですが,歌舞伎役者の家としては常軌を逸していますね。果たしてその理由は? 扇之介の初恋の人が登場し,毎夜彼女に会いに行く扇之介の本心は?と,まだまだ千夜の前途は多難。
この結婚編に至って,ますます千夜の明るさや,人に対する真摯な態度といった人となりに触れられ,泣かされます。
「扇之介っ!」のかけ声のオチが解りますよ〜〜。
歌舞伎世界への道案内,巻末に傑作短編『M(マリリン)・M(モンロー)で行こう』(これも気持ちのいい作品!)も収録されて全4巻。
吉田まゆみワールドご堪能あれ。
推薦者 Kobayashi miyako |
教育&映画プロデューサー 漫画と映画で人生を学び,現在は各地で法律を教えつつ映画制作にも関わる。 |