「汽車旅行」大城のぼる

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「汽車旅行」復刻版
大城のぼる

〜そこには、大人が読んでも面白く読める言葉がある〜

僕がこの作品を見つけたのはまったくの偶然である。

中目黒の街を呑み歩いてふらふらと入った古本屋で見つけて衝動買いしたのがこの本で、丁寧な筆致とあるいは細密と言ってもいい描写にたちまち目を奪われた。

1941(昭16)年の作品。昭和30年代の育ちだからもちろん知らない。

当時、中村書店が出版した「ナカムラ・マンガ」というシリーズの一冊で、収集家としても知られる松本零士氏が所蔵するものを小学館が復刻した作品、ということは買ったあとで知った。

その後この本に魅了されて同様に復刻された「火星探検」と「愉快な鐵工所」も手に入れた。

この二冊は箱装で、中に「読本」と呼ばれる解説書が添付されており、作品の提供者である松本零士氏に加えて小松左京さんらの解説を読むことができる。

小松氏がこの「ナカムラ・マンガ」について書いているので引用する。

〜講談社のものに比べ、中村書店の漫画は知っている人はあまり多くないんですね。デパートではなく下町の書店で自分でも買いましたが、そういう本をいっぱい持っている友だちがいて、ほとんど日参して読みました。大城のぼる、謝花凡太郎、新関健之助さんらの中村書店のシリーズはいかにも都会の下町に住む子供の世界にぴったり合っていました。(中略)今から振り返ると、あの大正・昭和初期というのは、日本で初めて近代的な都市文化が形成され、寄席、ボードヴィルが、あるいは映画でドタバタ喜劇がすごい勢いでできた時代です。<引用/終わり>〜

そういうシリーズの一冊だそうです。

僕は浅学にして知らなかったのだけれど手塚治虫以前にこんなすごい漫画を描く人がいたのか、と驚いたのと同時にああそうか、とも思いました。

以前、演出家の久世光彦氏が作家・向田邦子さんと対談する中で向田さんが語った「ふたつの大戦の間の時代がいちばんよかったと思うの」という言葉を思いだしたのだ。

そんな特殊な時代背景がもたらした独特な「文化」の匂いを僕はこの三冊から強く感じる。

もちろんそんな作品群が生まれた時代背景も興味深いのだが、それよりもなによりその画面を見て欲しい。さいわい三冊とも「なか見!検索」で少しだけ見ることができます。

こうして3つの作品を眺めていると松本氏が解説で「戦後のストーリー漫画の原型は、この三冊にあると思います」と書いているその構成とゆったりとしたテンポがとても興味深く、同時代と言うこともあるのだろう、構図や表現にロシア・アヴァンギャルドの雄カッサンドルなどの影響も見られたりして読んで、見て、飽きない。

ところで僕がこの三冊の中からとくに「汽車旅行」を取り上げるのはもちろん最初に手にした一冊、ということもあるのだが、なにより物語のバラエティの豊富さだ。

作品にはいくつかの話が挿入されていてそれは「アニメーションのできるまで」や「羽衣物語」、「日吉丸物語」であったりするのだが、それらが子供向けに描かれた作品であるにもかかわらず、物語がとてもていねいに描かれていることに感動するのである。

そこには「子供向けだからやさしく」とか「言葉遣いを平易に」などという「子供だから」という配慮がほとんどない「大人でもおもしろく読める」ように選ばれた言葉がある。

いやむしろ当時の子供にはそれほどの語彙があった、ということなのかもしれないのだけれど、日頃「子供向けだからやさしく」とか「一般の読者向けだからわかりやすく」という「配慮」を必要以上に強いられることの多い「描く立場」から考えると、読んでいてほとんど「痛快」なくらいなのだった。

読んでいるとその空気感から高野文子さんの一連の作品に通じる空気を感じたりもするけれど、印刷の印象からかウインザー・マッケイの「リトルニモ」(20世紀初頭)の匂いがすることもあるし、構図によってはエルジェの「タンタン・シリーズ」(1920’s〜)などを思い出すこともある。僕はこういう復刻版の風合いが大好きなのである。

のちに(あの)唐澤なをき氏が「21世紀科學小僧(モダンサイエンスバウイ)」という猥褻にして下品で破天荒な一冊を上梓したが、これは大城さんの「火星探検」へのオマージュではないかと思うのだがどうか(唐澤氏風)。

じつは僕はこちらもたいへん好きであります。

ムダに凝ってる怪作。現在「絶版」だそうですが機会がありましたらこちらも是非。

二十一世紀科学小僧

推薦者
モリモト・パンジャ

Morimoto panja

イラストレーター

「おくらのあな」で「チョンマゲ君とペタコさん」、「かんたんレシピ」連載中。 モリモト・パンジャのページ