「世界の夜は僕のもの」渋谷直角

90年代。熱に浮かされたような80年代を否定した。でも,世界はず〜〜っと今につながっている!

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「世界の夜は僕のもの」<全1巻>
渋谷直角/扶桑社

失われた 10 年とよばれた 90 年代。

バブル経済の崩壊,「平成の米騒動」,失業率の上昇,価格破壊,就職氷河期,阪神・淡路大震災,地下鉄サリン事件,酒鬼薔薇聖斗事件,池袋通り魔殺人事件をはじめとする凶悪事件の連発……

そして世紀末には「iモード」のヒット,犬型ロボット AIBO 発売といった IT 社会の幕開けへと続きました。

こうして振り返ると,暗いニュースばかりが目を引きがちな 90 年代ですが,ゲームの黄金時代を迎え,「新世紀エヴァンゲリオン」などの名作が数多く誕生し,マイノリティだったアニメ文化がより一般的なものへと変化したのも 90 年代でした。

他方で,悪趣味ブームといったムーブメントも生まれ,独自のアングラサブカルが生まれました。

また,今では信じがたいほど治安の悪かった渋谷では「渋谷系」という言葉が生まれ,ポップ・ミュージック,クラブカルチャーが花開いた時代でもありました。

『世界の夜は僕のもの』は,そんな 90 年代の東京で,若者たちがもがきながらも少しだけ成長して行くオムニバスドラマです。

随所に織り込まれた,雑誌,音楽,ファッション,マンガ,ライブイベント,そしてお笑いに至るまで,当時のカルチャーシーンを具体的かつ詳細に分析した column だけでも相当な読み応えのある構成になっています。

i-D JAPAN,レニー・クラヴィッツ,お笑い第三世代,LIVE 笑 ME‼,ガロ,魚喃キリコ,CUTiE,ヒステリック・グラマー,市川実和子,元ネタ,オリーブ,裏原宿,コミック・キュー,ナチュラル・ハイ,レイヴパーティー……。

固有名詞のオンパレードですが,決して王道?でなく,いわばサブカル・アンダーグランドな世界に言及しているのが本作の特徴です。

こう書くと,「当時を知る人には懐かしく,当時を知らない人には新鮮に映るよね」で片付けられそうですが,それはかなり残念な評価です。

フリーペーパーの作成を通じて編集の楽しさに目覚める男子, プロの漫画家の仲間入りするものの,才能の無さに焦る女子, 松本人志を崇拝し,お笑い芸人目指すオタク男子……

スマホも SNS も,もうちょっと先の時代。

彼らは自分の足で歩き,紙の雑誌を書店に買うことで情報を集め,出逢いもコミュニケーションもリアルな対面頼りで,紙のメモに固定電話の番号を書いて渡します。

本作は,当時一世風靡した人々に憧れる圧倒的大多数の側にいる,何ものでもない若者たちの焦燥感, ひがみ,妬み,友情,恋,夢を綴る「青春グラフティ」であり,スクールカースト,人種差別,フェミニズムといった種普遍的な社会の病巣にも触れた,か・な・り重厚で表情豊かな作品です。

筆者が印象に残ったシーンのひとつが,渋谷に買い物に行った帰り道,センター街でカツアゲにあった男子 2 人の電車の中での会話です。

「アメリカって…本当に今でも黒人差別ってあるのかな?今日のオレらみたいな理不尽なことを…毎日のようにやられてんの?いまだに?」

「前に読んだ手塚治虫の自伝マンガにアメリカは黒人差別が問題視されてるって…アレ,たしか 70 年代のマンガ本だったから,さすがにもう…20 年も経ってたら,なくなってなきゃオカシイっすよ」

「そうだよね。日本が遅れてるだけか」

「日本なんて遅れてますよ。バカしかいないっすよ。日本なんて」

「ハハハ…ホント,この国はダメだよ」

ー世の中のことなんて,何もわかっていなかった。ワケもわからずに自分の国をバカにして笑うことで,理不尽な苦しさから気を紛らわそうとしていただけだったー

素朴な絵柄(表紙画は台湾在住のイラストレーター Fisheep Tung さんのものです)で描かれた登場人物,当時のファッション,バイク,雑誌の表紙は,絶妙にリアルさを醸し出しています。

登場人物には「ああ,自分にもこんな時期あったよな」と,愛おしさを禁じ得ず,「でも,ここまで頑張って生きてきたな。明日もがんばろ!」と元気がもらえる一冊です。

ご自分へのクリスマスプレゼントに是非!

推薦者
小林美也子

Kobayashi miyako

教育&映画プロデューサー

漫画と映画で人生を学び,現在は各地で法律を教えつつ映画制作にも関わる。