「夏目アラタの結婚」乃木坂太郎

なぜ人はサイコキラーに惹かれてしまうのか……心の淵に立ち,引きずり込まれるのも運命か?

「夏目アラタの結婚」<既刊9巻>
乃木坂太郎/小学館

刑事弁護を本懐とする弁護士の友人から聞いた中で忘れられない言葉のひとつが,
「殺人と殺人以外の犯罪とでは,容疑者の心情と事件の背後にあるものが根本的に全く違う。」
です。

この言葉を思い出させてくれた作品をご紹介しましょう。

児童相談所に勤務するインテリヤクザ風の夏目アラタは、結婚に夢など抱いていない30代・独身。

ある日、担当児童・父親が連続殺人の被害者で、14歳の卓斗から「父を殺した犯人に代わりに会って欲しい」という依頼を受ける。

犯人は,3人の男性を次々と殺害後,遺体をバラバラに切り刻んで遺棄した罪状で死刑判決を受けた品川真珠という逮捕時21歳の若き女子。

逮捕時にピエロのメイクをしていたため「品川ピエロ」と呼ばれている。

なんと,卓斗はアラタの名前で拘置所の真珠と文通をしているという。

「未だ見つからぬ父親の首の行方を突き止める」という卓斗の約束を果たすべく,アラタは卓斗の代わりに真珠と面会することになる。

逮捕時の「太ったピエロ」とはまるで別人の華奢な少女のような姿で現れた真珠。

違和感あるのは,すきっ歯で歯並びが悪く,口を開くと強烈に気味が悪い点だ。

簡単にマウントを取れるとタカをくくっていたアラタだが,すこぶる頭が切れ,面会室のアクリル板越しに巧みに駆け引きする真珠に翻弄される。

そうこうするうちに,本作のタイトルにあるように,アラタは真珠と獄中結婚をすることになる……。

「羊たちの沈黙」「三度目の殺人」よろしく,被拘禁者と外部の人間とのやりとりがエンタテイメントする必須要素は,被拘禁者の頭脳が悪魔的に切れることです。

その点,真珠は8歳で施設に保護された時と21歳の逮捕時で30も知能指数が上昇している設定です(これも謎の一つですが)。

愚鈍かと思えば,冴えた少年のように。

純真な少女かと思いきや,はすっぱな態度を釣る一方で,愛を求める女性……
と,ことごとくアラタを翻弄します。

そして,本作の何よりの面白さ,深さは,シリアルキラーとされる真珠出生の秘密や幼き頃のエピソード,など、殺人の理由や遺体の隠し場所謎のピースが複雑に散りばめられている点です。

この「複雑さ」を物語るのが登場人物たちですが,これぞ連載漫画の真骨頂で,一人一人の人物像が丁寧に描かれているのが見事です。

頑なに真珠の無罪を信じる担当弁護士の宮前光一。

傍聴マニアで死刑囚アイテムコレクターの藤田。

裁判官の経験と知識に基づく事件と被告人への深い洞察。

真珠の死刑判決をなんとしても確定させようとする検察官の思い。

父親殺しの犯人である真珠を憎んでいるはずなのに,裁判を傍聴してレオンのマチルダを彷彿とさせる真珠に惹かれてしまう卓斗。

真珠を学校にも通わせず,パックご飯とツナ缶のみを大量に食べさて肥満にさせ,歯医者に行かせなかったものの,暴力的な虐待は皆無だった真珠の母。

物語の進展に伴い,登場人物が増えると,読者を混乱させるのが常ですが(人物表が欲しくなる),いやいや,一人一人のキャラが立っていて,どの人物もしっかり印象に残るのは圧巻です。

物語冒頭から,いたるところに伏線が張られ,それが謎となり,随所で謎は明かされたかと思いきや,また謎をよぶ……と読者を翻弄しつつ惹きつけてやまない秀作です。

現在も『ビッグコミックスペリオール』(小学館)にて連載中。

コミックス既刊9巻ですが,あっという間に読破。

各コミックサイトで何話かは無料で読めますが,どハマりすること確実です。

覚悟して読み始められますように。

推薦者
小林美也子

Kobayashi miyako

教育&映画・演劇プロデューサー

漫画と映画で人生を学び,現在は各地で法律を教えつつ映画・舞台制作にも関わる。