性暴力を赦すのか,闘うのか,あるいは去るのか。組織の庇護と安寧,それとも尊厳と自由か……!?
「ウーマン・トーキング 私たちの選択」原題: Women Talking /上映時間:105分 |
2010年,自給自足で生活するキリスト教一派のとある村。
信仰心に富み,質素に暮らす人々。
しかし女性達は教育を受けることを否定され,誰1人として読み書きができない。
女性達は,たびたび寝覚めの悪い朝,身体に残るアザや出血に驚きと恐怖を感じるが,男たちは、「罪深さの証拠だ」「作り話」だと,相手にしない。
しかし,それが薬によって昏睡状態にされた中でのレイプだったことが判明し,男たちは警察に逮捕される。
釈放手続きのため男たちが街へと出かけて不在となった間,女性たちは自らと子ども達の未来のために決断を迫られる。
男達を赦す。
残って闘う。
村から去る。
タイムリミットは男達が村に戻ってくるまでの2日間。
100人以上の女性たちが三択のいずれかに投票する。
『男達を赦す』が少数。『残って戦う』『村から去る』が同数となった。
納屋を議場として,それぞれの意見の代表が話し合って結論を出すことになる。
議論の冒頭では,『男達を赦す』,つまり村にとどまって何もしないという少数派の代表も意見を述べる。
村の男たちから「男らしくない」と揶揄されている優しい男性教師(本作唯一の男性キャスト)が,議事録を取ることを頼まれる。
彼女達は読み書きができないが,話し合いの記録を残したかったからだ。
閉鎖的な社会で起きたおぞましい出来事をめぐる女性達の熱く長い話し合いが延々と続く物語でありながらも,そこには不思議と悲壮感は漂わない。
怒りや涙,対立だけでなく,笑いもあり,世代の異なる彼女達それぞれの生活がビビッドに垣間見える。
そして,少数意見への傾聴,異なる立場を尊重し,議論と説得を尽くす中で,何人かの心が変化し,納得し,全体の方向性を決めていく様は,民主主義のあるべき意思決定過程を見るようだ。
彼らの暮らしぶりから,一瞬,遥か昔の(西部開拓時代?)物語かと錯覚するが,時代設定は2010年。
彼女達の置かれている状況を見て,「なぜすぐに逃げないのか?」「一致団結して闘えばいいじゃないか」との感想を持つ向きもある。
確かに,閉鎖的なコミュニティで育ち,洗脳され,村から出たこともなく,地図の読み方さえも知らぬ彼女たちにとって,とどまって闘うことも,逃げ出すことも,どれほどの勇気が必要か,我々には想像し難いものかもしれない。
しかし,彼女たちの置かれた状況は,今現在まさに世界で大きく報道されている事件となんら変わらない。
ハリウッドで性的暴力に晒され,干されることへの恐怖から赦す他なく,闘うことも,いわんや映画界から飛び出すことも叶わなかった女性たちが,何十年もの時を経てようやく声を上げ始めたばかりではないか。
日本の芸能界で,絶対的権力者による少年達への性的暴力が,60年近くも黙殺されてきたのも,全く同じ構造ではないか。
原作は2005年から2009年にかけて南米ボリビアの宗教コミュニティで実際にあった出来事をもとに執筆され,2018年に出版されてベストセラーとなったカナダの作家ミリアム・トウズの小説。
原作のオプション権を獲得したフランシス・マクドーマンドが製作,プラッド・ピットが製作総指揮を担当。
主演は「キャロル」のルーニー・マーラ。クレア・フォイ、ジェシー・バックリー、ベン・ウィショーらが共演している。
議場となった納屋でのシーンに奥行きと幅を持たせたロケとセット,カメラワーク,抑えた照度,衣装で垣間見せる彼女たちの生活,小説を映画化するにあたっての見事な脚本と演出。第95回アカデミー賞で作品賞と脚色賞にノミネートされ,脚色賞を受賞したにとどまるのが不思議なほどの秀作だ。
日本では2023年6月2日(金)より全国で公開。
オフィシャルサイト:https://womentalking-movie.jp/#
推薦者 Kobayashi miyako |
教育&映画・演劇プロデューサー 漫画と映画で人生を学び,現在は各地で法律を教えつつ映画・舞台制作にも関わる。 |