〜松太郎もジョーも登場!漫画家の生き様を魅せるちばてつや先生23年ぶりの短編集〜
「あしあと ちばてつや追想短編集」<全1巻> |
タイトルからご推察のように,ちばてつや先生の自伝的短編集です。
戦後から現在にいたるまで第一線で活躍されている先生のエピソードが時系列に収められています。
昭和20年(1945年),満州国奉天で日本の敗戦を知らされ,生と死が隣り合わせになる中,命からがら帰国するまでの1年を描いた『家路 1945-2003」。
反日感情が極まった中国人による暴動や略奪,ソ連軍による爆撃,砲撃,無差別掃討。
一家心中する家族,配布された青酸カリでの集団自殺,衰弱していく我が子に手をかける親,そしてその後何十年もたってから日本への帰国が問題となった「残留孤児」となった子ども達,引き揚げ船での過酷な生活……。
ちば先生は,当時の引き揚げ者達の様子を淡々と描きながらも,2003年現在,乾パンをかじりながら8月15日の絵を描かれます。
漫画家デビュー時,背中に「赤い虫」が住み着くような「幻覚」に苦しめられ,謎の体調不良にさいなまれた日々を描く「赤い虫」。
なんと,結構深刻な「妄想性障害(身体型)」が進行中だったと後に判明したそうです。
ちば先生といえば,『あしたのジョー』を代表作として,少年誌に掲載された数々のスポーツ漫画が有名ですが,デビュー当時は少女漫画ばかりを描かれていました。
体調不良が最悪になった頃,ちょうど少年誌で初めて野球漫画を書くことになり,編集者とキャッチボールで汗をかいた日は「赤い虫」が現れることなく熟睡。
ここから運動大好き漫画家に変貌されたそうです。
「今にして思えばあの「赤い虫」は虫の知らせ…… ボクの不健康きわなりない生活習慣を大きく変えさせ,……スポーツ賛歌,人間賛歌のマンガ家への道を教えてくれたような気がするんですよ。ありがとうね「赤い虫」さん…」
このように語られるちば先生のタフさには脱帽です。
本誌は,4つの短編で構成されているのですが,筆者の一押しは,トキワ荘の面々との交流のきっかけとなった大事件を描いた『トモガキ前後編』です。
編集者への悪ふざけがきっかけで,窓ガラスにダイブし,口,喉,右手に大小無数のガラスが突き刺さる大惨事に! 問題は,ほとんどペン入れができていない原稿です。
しかも,デッドラインはぎりぎりあと2日。
万策尽き……かけた,編集長はトキワ荘のメンバーに原稿の仕上げを頼みます。
その時のメンバーは,若かりし日の石森章太郎(のちに石ノ森章太郎),赤塚不二夫,横山孝雄,長谷邦夫,よこたとくお先生他の面々(すごメンバー)。
徹夜明けの上に,絵柄の違う他人(ちば先生)のタッチを真似て原稿を完成させて欲しいという無理難題に,「困った時はお互い様」と答え,ちば先生は連載を落とさずに済みます。
そして,これがきっかけでちば先生と「トキワ荘」の面々との熱い交流がはじまったのです。
ラストは,30年もの大長編となった『のたり松太郎』誕生前夜を描いた『グレてつ』です。
4人兄弟の長男として,ずっと「お兄ちゃんだから」といろんなことを我慢してきた自分と正反対のキャラを思い切り描くことで作品を創り出されたエネルギーは流石です。
創り続けるということは生きる続けること,そして全ての出逢いに感謝すること。
ちばてつや先生のエネルギーとマンガへの深い愛情が伝わる短編集,ぜひ!
推薦者 Kobayashi miyako |
教育&映画プロデューサー 漫画と映画で人生を学び,現在は各地で法律を教えつつ映画制作にも関わる。 |