「八百森のエリー」 仔鹿リナ

〜必要なモノを必要な数必要な場所に必要な時間に届けるために……野菜に人生捧げますか?〜

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「八百森のエリー」 (1)
仔鹿リナ/講談社

突然ですが,お野菜はお好きですか?
ビニール栽培,海外からの輸入など,季節感が無くなってきたと言われて久しいものの,洋菓子店で苺ショートを出さない時期があるとか,水ナスが居酒屋で出る時期とか,フキノトウの天ぷらが食べられる時期とか,白い野菜の美味しい時期とか……

やっぱり四季のある国に住むと,野菜に関しては特に季節の移り変わりを感じることができるように思います。

今回はそんな野菜に人生をかけた仕事人たちのお話です。

主人公は一見優男のイケメン,エリーこと卯月瑛利(うづきえいり)くん。

農業をするために国立大学農学部に入り,卒業を控え,研究室の教授から大学院に進んでアシスタントになれと請われるほどのエリート。

加えて結衣ちゃんという準ミスキャンパスで性格良し,頭も良しのガールフレンドまでいるという超リア充ぶり。

にもかかわらず,物語冒頭で結衣ちゃんに「卒業前に別れよう」と言い出してビンタを食らい,追いすがる教授を振り払い,結構ブラックな職場に就職を決めます。

エリーは教授に言います(結衣ちゃんから受けたビンタの手形のついた顔で)。

「“仲卸”がやってみたいんです。

俺は“繋ぐ”ことを野菜を通してやってみたいんです。

素晴らしい日本の農業で作られたモノをちゃんと届くべきところに届けたい。教授の作ったいろんな品種も俺が繋ぎます」

彼は,宇都宮中央卸売市場にある大手仲卸業者の“八百森青果”で働くことに決めたのです。
因みに仲卸業者とは,ざっくり言うと,卸売業者から「競り」を通じて生産物を購入して飲食店やスーパーに販売する業者です。

卸売業者と小売業者を仲介する業者ですね。 生産者→卸売業者→仲卸業者→飲食店・スーパー・ホテルなど。こんな感じです。

市場で働くわけですから,当然朝は早く早朝2〜3時出勤。

1日平均12時間労働完全週休二日でもなく,夏は暑く冬は寒い。

たまの休日も人脈つくりのために市場神輿に強制参加,さらに品種・食べ方・レシピとかの商品知識も必須と,いや〜これぞ野菜のザ・プロッフェッショナル!

ここに,なぜエリーが結衣ちゃんに別れようと行ったのかの理由があります。

入社早々エリーはフォークリフトの事故で壊れた4キロ100ケースのスナップエンドウを野菜愛に裏付けられたアイディアと押しの強さで,一気に捌きます。

その後も,本作は様々な野菜の魅力と仲卸業者,生産者,小売業者といった野菜を巡って日々奮闘する人々を描いていきます。

春キャベツの収穫方法,玉ねぎの硫化アリルにある鎮静作用(スライス2〜3枚を枕元に置くとよく眠れるそうです。臭いそうですけど),普段スーパーで売っている菌床栽培の椎茸が3ヶ月くらいで収穫できるのに,原木栽培の椎茸は2年はかかること,震災の原発事故で何千何万もの椎茸の原木が処分されたこと,ジャガイモは冷蔵で寝かせておかないと糖度が保てない,とうもろこしは気温の上がる前の朝穫りがベストで水から茹でるのがジューシーになる……

さまざまな野菜をめぐる物語は,農業が自然に畏敬の念をはらいつつ人間が知恵と労働の限りをつくして営んできた産業だということを教えてくれます。

そして,おもわず野菜を抱きしめたく(?)なります。

仕事の厳しさを教えてくれる強面の上司,信頼できる同僚,無理難題ばかり突きつけてくるスーパーのやり手バイヤー,そして生産者といった人たちに囲まれて,エリーは必要な野菜を・必要な数量・必要な場所に・必要な時間に届けるため,時にはぶつかり喧嘩し,悩み,考え,成長して行きます。

さてさて,読者の方の中には,ネットや宅配業者のおかげで,もはや中間業者(卸業者・仲卸業者)なんて不要なのじゃない?と思われる方もいらっしゃることでしょう。
漁師さんから魚介類を取り寄せしたり,有機栽培の米を農家から直送してもらうことってありますよね。契約農家を持っていたり,自己所有農地で必要な野菜を栽培する料理店もあります。

こういったそもそもの疑問にも,本作は経済学の原理からさらっと答えてくれています。
「取引数量最小化の原理」と「不確実性プールの原理」で,前者は異なる原材料の生産者と多くの取引をするより中間業者一社と取引する方がコスト減になる,後者は中間業者が商品を速やかに供給すれば小売業者はよかいな在庫を減らすことができる,ということです。
ま,このあたりは筆者の能書きよりも本作の物語から掴んでいただくのが一番お勉強にもなるかと思います。

身近なようでいて実は知らなかった野菜のお話,働くことの苦労と面白さを何よりもリアルに,圧倒的なスピード感と魅力溢れる人物描写で伝えてくれる『八百森のエリー』。

野菜好きはもちろんのこと,野菜嫌いにもオススメです!

推薦者
小林美也子

Kobayashi miyako

教育&映画プロデューサー

漫画と映画で人生を学び,現在は各地で法律を教えつつ映画制作にも関わる。