「I’M NOT HERE アイム・ノット・ヒア」 やまじえびね

〜「I’m not here」から「I was not here, but now, I’m here」へ〜

アイム・ノット・ヒア_icon

「I’M NOT HERE アイム・ノット・ヒア」
やまじえびね/KADOKAWA

花の飾り方に例えるなら,“茶花”のような5つの短編集です。
生け花のような技巧や華やかさはなく,花のありのままが素朴に飾られます。

簡素だけどそこには深い亭主の想いが込められ,客はその意味するところを推し量る。
そんな珠玉の短編たちです。

瞳はあくまでも黒一色,すっきりとした描線,計算され尽くされたコマ割りと吹き出しのデザイン,スタイリッシュな人物のファッション,そして登場人物が感情をぶちまけるようなシーンは決して描かれない。
でも,読者はその奥にある登場人物たちの葛藤や,切なさ,深い悲しみに思いを馳せます。

最近ママが亡くなった大学生の泉。
深い愛で娘を見守るミュージシャンズミュージシャンと呼ばれる素敵なパパとふたり暮らし。
実の父親は,ゲスの極みが服を着て歩いているような,世界的に活躍するミュージシャン。
音楽は好きだけど,才能溢れる2人のパパ,ママを思うと気後れする彼女を,同級生たちが優しく見守る『ダディ・アンド・ミー』。

13歳の頃に経験したセクシュアルな出来事のせいで,少女のままでい続けたいと思うリラと少女時代を失ったシオン。
ロリータファッションに身を包みドールを愛する英文科大学生のリラ,写真が趣味で大人っぽい雰囲気を持つ哲学科に通うシオン。
そんな二人が出逢い,それぞれが囚われている過去のくびきから脱しようとする『リラとシオン』。

千栄ばあの家に居候する果歩と幼い息子の拓哉。
父親のことは何も知らされないが,千栄ばあと果歩の愛情に包まれ,拓哉は素直な少年に育つ。
しかし,千栄ばあが亡くなると果歩の様子がおかしくなり,ある日突然,幼い拓哉を置いて失踪する。
拓哉を愛しつつも,拓也出生の忌まわしい過去に囚われる果歩の再生を描く『グッバイ・マイ・ライフ』。

どこまでも理解のある優しい両親に育てられたお嬢様育ちの女子大生・琴子が「いい子」をやめようと奮闘する。
人はいかに「いい子」でいることに囚われ,「いい子」をやめることに苦労するかを優しく穏やかに描いた『しょっぱいフレンチトースト』。

兄から受けた性的暴力,追い討ちをかけるように心の傷をえぐる兄を溺愛する母親。
社会人になった今,恋人とのセックスの最中に心が体からにげだしてしまうミナ。
彼女が自分のものだったはずのからだを取り戻すまでの葛藤を描いたコミックスタイトルの『I’M NOT HERE』。

結構内容紹介していますが,ネタバレには程遠いほど,どれも短編とは思えないほど濃密な物語です。

人にとって,何が心の中のわだかまり・傷になるかなんて,相対的なものですよね。
親からの自立に苦労するのを笑うことはできないし,娘が受けた内臓をえぐり出されるほど大きな傷を些細なことと片付ける親もいる……
そんなこんなからの再生を,押し付けがましくなく,さらりと,でも深く丁寧に描かれた秀作ばかりです。

絵柄同様,無駄なセリフ・描写を究極なまでに削ぎ落とし,登場人物のさりげない言動で,各々の心持ち・キャラクターが豊かに表現されています。

筆者もお恥ずかしい話,あるエピソードをさらっと読んだだけの瞬間は,
「なんでこの人がこんな簡単に変わるんだよ。安易な展開じゃね?」と思いきや,
読み返してみて納得することしかり。

そう,とことん読者を信頼した描き様なのです。

読み返すたびに気づくこともありますし,その時の気持ちに応じて読む物語を選ぶもよしで,いつまでも手元に置いておきたくなる一冊です。

お友達と,どの物語が気になったかを語りあうのも心理カウセリングもどきで一興かも。

お試しを!

推薦者
小林美也子

Kobayashi miyako

教育&映画プロデューサー

漫画と映画で人生を学び,現在は各地で法律を教えつつ映画制作にも関わる。

「Amazon Unlimited」で読むことが可能です。(2020.4.15現在)